資格をとる意味は?(2)
tamyさんから、コメントをいただきました。もう少し考えましょうか。
私は、児童相談所で働いています。
児相でずっと働くとしたら、今のところ資格がなくても、“児相の心理司”として、来談者は見てくれます。
私が資格を取る意味は何かと問われると、曖昧にしか答えられません。
臨士会の大会に参加できたり、心理士に関わる情報が入ってきたりすること(実際どんな情報が得られるのかはよくわかってませんが)、臨士会の人とのつながりができること(SCとは仕事上関わることもあると思ってます)かなぁ、とは思っていますが。
これらは資格を取らなければできないことでもないのかもしれない、とも思います。
他に児相で働いている人で資格を取ろうとしている人たちは、皆さんどう考えてらっしゃるんでしょうか?
コメントお願いします。
(コメント以上)
私が思ったことは2点あります。
1つ目:
私は英語が少しできます。語学ができるというのは、窓が1つ開いているみたいなものだと思うのです。
別にその窓が開いていなくても、他にも窓はあるし、困りません。でも、その窓が開くと、たくさんのものと行き来ができて、いろんなことに触れる機会が増えるのです。
具体的には、英語で会話ができるというのは、それだけでとてもコミュニケーションの幅が広がります。また、言葉を通して、それを使用する国の文化や風土を直接知ることができると思います。
tamyさんが、「児相」という部屋にいて、そこでお仕事をされる分に臨床心理士の資格は必須条件ではないのでしょう。でも、臨床心理士という窓が開けば、そこからいろんなことが見えて、また情報の行き来があります。それはtamyさんも書かれている通りで、資格を持たなければ参加できない研修会や得られない情報は私が思っていたより多いです。
資格は、そのような窓を開くのかどうかという、ご自身の選択であると思います。
2つ目:
もうちょっとつっこんで、アイデンティティーの問題です。
「児相の心理士」か「心理職で児相に勤めている」か。
前者であれば、臨床心理士の資格は関係ないと思います。しかし、後者で、心理職であることが今の勤務形態よりも優先するならば、臨床心理士という資格は意味を持つと思います。
私の場合、自分でグループ活動を長くしていて、それなりに勉強してグループワークのトレーナーもできるようになりました。資格がなくてもできることですが、もっときちんと学びたい、自分の専門性を高めたいと思い、大学院に進学しました。専門性が高い方が、社会における貢献度も高いことを、実感する機会もあったからです。
そして苦労して勉強したのだから、それを他の人から認めてもらえる形として、臨床心理士資格を取りたいと思いました。臨床心理士の資格は、自立した心理職としてのライセンスであると感じるからです。
ですから、私は心理の専門家としてのアイデンティティーを持ち、それを大切にしています。
でも、資格はゴールではありません。資格を持ってどの領域で活動していくのか、成果を上げていけるのかが、もちろん重要です。
児相でお勤めの他の方はいかがですか? ご意見をお願いします。
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コメント
さやかさんのおっしゃることは正論です。
でも、真実は明らかにされるべきでしょう。
わたしもぜひ真相が知りたいです。
投稿: ワカメ | 2005.11.14 22:32
指定校びいきであろうがなかろうが、どっちでもいいことだと思いますが。
私は、別に指定校ではありませんが、そこでずっと議論していてもどうしようもないと思います。
自分がやってきたことを振り返ること方が今は大事ではないでしょうか。
投稿: さやか | 2005.11.14 20:17
なかいさんへ
その仮想データ欲しいです・・というかここで公表はできないものですか。
わたしもなんとなく指定校びいきを感じているのでとても興味があります。
投稿: うめ | 2005.11.14 18:20
大学院では心理でしたが公務員になったらほとんど心理の仕事からは遠ざかり行政的な仕事を10年以上しております。公務員でかつ資格がもらえなくても全く落ち込む必要はありません。臨床の力がなかったということではないと思います。仮想データを作成し,合格者を抽出するシュミレーションを行ったら分かります。指定校出の方になるべく資格を与える極めて政策的な資格だということが分かります。仮想データを欲しい方はあげます。資格を取れなかった心理系公務員や資格のない●●学会正会員をいづらくして,排除する目的もあるのです。
臨床心理士こそ官軍だといっている幕末を思い出します。こうなれば臨床の本来の姿よりは政治力に変わりつつあるような印象さえ受けます。資格の中身はともかく大学の先生はいいでしょうが資格だけもらってサクラになっているような方はかわいそうに思います。
投稿: なかい | 2005.11.14 17:08
児相に長く勤めながら何年か前に資格を取った者です(ちなみに学部卒)。このブログを所内の仲間の受験対策に使わせていただきました。ホントに役に立ちました。ありがとうございました。
僕が面接で何と答えたのかもう忘れてしまったのですが、既にみなさんがコメントしていたような感じで、心理職としてのアイデンティティーの確立や専門性を向上させるための研修機会を増やしたい、といったところでしょうか。面接では特に突っ込まれませんでした。
正規職員か非常勤かで資格の重みは変わってくると思うのですが、正規の僕は、本音を言ってしまえば、心理職として生き抜くための身すぎ世すぎの手段として資格を求めたのです。だって、なくても仕事がなくなるわけではないし、自分の臨床は「心理臨床学研究」に多く載っているような立場とは、あまり関係ないやり方で十分にうまくやれてましたからね。
国家資格はいつできるとも知れず、名と権威のある資格(?)を持つことのメリットを社会の中でできるだけ利用しつつ、臨床家としての自分の力と存在感を高めていく、そういうことを期待していました。確かに勉強の機会や仲間は増えたので取ってよかったですよ。
一方で、まだ何の法的根拠もない段階で、他の資格や人物を無視して臨床心理士というだけで採用されたり重用されたりしないように、人事担当者を指導していかなくてはとも思っています。
みなさんも自分の思いと相手のニーズをうまく調和させて、適当な言葉にして面接官にぶっつけちゃって下さい(ケンカはしないでね)。
投稿: アド仙人 | 2005.11.09 00:32
公的機関で、心理職に従事していますが、今後は、臨床心理士、乃至はそれ相当の資格取得者が入職してきます。院卒も当たり前になってくるでしょう。
新人職員が臨床心理士で、上司が資格をもってない状況は、かなり複雑な状況になります。
また、このような状況ですと、行政機関では、臨床心理士(新人職員で給与が安く済む)を心理職現場に残し、資格をもっていない上司が、心理関係以外の部署に異動させられる事態も発生します。
心理職現職者にとっては、職臨床心理士が国家資格になるであろう現状に置いて、やはり資格を取る意味は重いですね。
投稿: 学部卒は | 2005.11.08 07:54
「資格」に対する私の思いです。
私も公的機関で心理職についています。勉強会や研究会にも参加はしていますが、そのたびに生の情報や状況が入ってくるので、毎回これまでのフィードバックや自分に足りないことや方向性の確認ができます。
今は資格を持っていないので、専門家としてのコメントを求められても、それを公表されること(職場新聞など)に自分自身葛藤しています。ただ、しずかさんが書いていらっしゃるとおり、周囲は専門家としての心理を求めています。
勉強会や研究会で有資格でないことで、他の参加者のみなさんと「同じ土俵」にいないような気持ちがすることもありました。みなさんは「そんなことはない」とおっしゃってくださいますが、自分自身の問題ですよね。
情報を共有するにも、情報を提供するにもひとつの基準があるほうが自然だと思います。なので、自分自身のやっていることと社会をつなぐものが「資格」になるのではないかな、と私は考えています。
…あまりの考えのまとまってなさに情けないですが、みなさんのご意見を拝見して感じたことを書かせていただきました。
投稿: koma | 2005.11.07 22:27
初めてコメントします。
tamyさん同様,公の機関で心理職として働いている者です。今年度の試験を受験しています。
私の仕事は,公的機関の心理職として雇われていること=心理やとしての保障(保証かな?)という位置づけにあります。
したがって,今回,たとえ,試験に落ちたとしても,仕事になんら差し障りはないので,何のために資格を取るのかと問われると,単純に仕事のためとは言いがたいところはあります。
ただ,公的機関の心理職として雇われていることが,現在の私にとって心理やとしての唯一の保証であり,保障だとすると,それは,職を離れた時点で何ら意味や価値を持たないものに成り下がってしまうわけです。
また,あくまでも,その職場でしか通用しない保障や保障に過ぎず,自分が所属する狭い業界でしか通用しない心理やで終わりたくない,少なくとも,それに安住していてはいけないという危機感がありました。
それと,tamyさんもきっと感じることが多いかと思いますが,公的機関の心理やという者は,えてして,心理やだけやっていればいいというわけにもいきません。
行政機関である以上,大なり小なり行政マンとして動くこと,行政マンとして考えることが求められる場面が多々あります。
ことに,中間管理職になってくると,「心理ができる行政マン」なのか,「行政もできる心理や」なのか自分でも分からなくなってくることがあります。
そういう状況なだけに,私は,心理やとしてのアイデンティティを保つ一つの手段として,臨床心理士の資格を取りたいと考えました。
参考になるか分かりませんが,もし,二次試験で聞かれたら,そういうことを答えようかなあと思っています。
投稿: ちゃき | 2005.11.07 21:56
一般人から見た臨床心理士像です。ご参考に。(家族のことで民間のカウンセリングルームを月に1回ペースで利用しています。)
「臨床心理士」=わたしのなかでは大学院卒というイメージ。6年勉強しているという感じが専門家っぽい。
「臨床心理士」=あの難しい試験を突破した人たち=心理の専門家中の専門家というイメージ。だから単純にすごいなぁという感覚。治してくれそう。
実態は知りません。
あくまで一般の我々から見た「臨床心理士」のイメージです。
同じお金を払って相談するらやっぱり有資格者にすると思います。
実力はともかく、単純に資格を取った過程だけども、我々からすると凄いなぁと思えるので。
でも相談料1時間8000円は高すぎるといつも思う。
もっと安ければ回数を増やして気軽に利用できるのになあと思います。
投稿: しずか | 2005.11.07 20:02
私も児相で仕事を頂いています。確かに臨床心理士の資格は魅力があり、できることなら取得したいです。しかし、その扉を開ける為に門を叩いても、「あなたでは駄目なのです。」とだけ答えが来て、閉ざされている以上どうしようもありません。
また、人にはそれぞれの道があって、人の数だけの自分史というのがありますね。今私が
この環境にいるのには、それなりのわけがありそして意味があるのだと思っています。それを大切にしていきたいと思うのです。臨床心理士の資格が取得できなかった事実をしっかりと受け止めつつ、しかし受け入れてくださる環境があることに感謝し、さらに向上していけるよう歩んでいきたいと思います。
投稿: thanks | 2005.11.07 19:48