つまらない授業
言い訳か逃げのようにいつも言うのですが、私は数字に弱いです。1日は86400秒ですね。ゼロを1つ落としてきづきませんでした。(^_^;
さて、月曜日に雨の中並んで、あげくに14400秒を無駄にした私ですが、金曜日はみごとにリベンジしましたよ!! やはり雨でした。いつものように5時に起きて、家族や家事を振り切り6時過ぎには家を出て、現地着が金曜日より1時間ほど早い8時でした。雨の中再び並ぶこと2時間…希望のものを手に入れることができました。(^^)v
待っている間は、一緒に並んでいる人とおしゃべりできて楽しかったです。いろいろ情報収集できました。チケットが手に入ってから開演までが3時間あったのですが、その間はお買い物したり、お弁当を食べたり、重いのをもっていったノートPCで仕事もしました。
宝塚歌劇の『ベルサイユのばら』は前回、前々回と一通り観ていますが、今回の朝海ひかるさんのオスカルが、ほんとうにイメージがぴったりで、美しくて、ファンならずとも心を奪われるすばらしさでした。
今週末は用がありましたが、楽日まじかの来週末は、また並んでしまうかもしれません…
さて、私の計算間違いを指摘してくれた、しょちょうさん、ありがとうございます。ただ、私はそのときにあなたが書いていた「つまらない授業」という表現にずっとひっかかっています。
あなたのお母さんくらいの年齢の、おばさんの説教に聞こえるかもしれませんが、でも、やっぱり、若い人には伝えたい!と思うことを書きます。
私が一番気になるのは、あなたが「しょうもない授業」を授業をしている教師の問題、教師のせいでしょうもないんだ!と感じているように思われる点です。学ぶ主体は生徒であるあなたなのに「授業がしょうもない、おもしろくない、だから学ばない」というように、勉強から逃げる口実を、教師に求めていないでしょうか。
中学校で学ぶことは、基礎学力として必要なものばかりで、その中身がしょうもないということは決してないと思います。選り好みをさせず、どん欲に学ばねばならないことばかりでしょう。教える側の技術を問題にしているならば、困っていることがあれば伝えて、よくなるように要求してください。
教師はその教科の専門家です。各教科の先生方が勢揃いしている学校という場所は、いくらでも引き出すことができる知識の銀行です。特に今のカリキュラムや学習内容は、私が生徒だったときと随分変わって、新しくなっているので、私自身、授業を受けたいことばかりです。(私は授業に行ったとき、黒板に前の時間の板書が残っていると、一通り読んで内容を確認し、わからないところは生徒に質問してから消す、変な先生です) しょうもないなんて考えずに、なんでも学ばないと損です。
あなたにどれだけの広い教養と深い知識があるのか、私は知りません。そもそも、あなたがなぜ「しょうもない、時間の無駄」と思っているのかを確認していないので、齟齬があるかもしれないのですね。おせっかいなおばさんの言うことと、聞き流してもらってもいいです。
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コメント
しょちょうさん、mizuさん、コメントありがとうございます。
しょちょうさんがまじめに勉強されている学生さんだと伺って、失礼なことを書いてしまったなぁと反省しています。ごめんなさい。困った先生はいるものなんですね。
mizuさんが書いてくださったことは、教育や学問について、いろんな問題が含まれているなぁと興味深く拝読しました。
私は基礎学力や一般教養があるほうだと思いますが、全て高校卒業までに身につけたなぁとつくづく思います。人生の貯金になっていますよ。
そんな中、物理、地学、日本史、倫理社会は高校であまり勉強する機会がありませんでした。未だに欠落感を感じながら、埋めるすべもなく過ぎています~。
しょちょうさんも先は長いようですが、勉強はやるべきときに(授業で)しっかりやておかないと、なかなか後では機会がないものです。困った先生でも、なんとか興味を持って授業を受けられることを願っています。
投稿: ひろみ | 2006.03.23 00:23
>大学では黒板へのまとめもないとは聞いていますが、口頭質問なども一切ないのでしょうか?(講師の方によって異なるのでしょうか?)
講師また少人数制か否かで違うでしょうね。しかし、私にとって、大学は、自分の興味ある分野の参考に行くところだったから余り関係ありませんでした。私の場合は、授業では、まとめとか書記よりディスカッションが多かったですね。
それはともかく、大学だけは、人生で唯一楽しい時期でしたね。バイトと夜遊びと睡眠を使って自己分析をするのが生活の主体で、週に2,3日学校に行くのみで、7年かけて卒業したのを思い出します。「思(想?)いて学ばざれば即ち危うし。学びて思わ(想わ?)ざれば即ち暗し(冥し?)」でしたっけ(順番と漢字不正確かも知れません)。想ってばかりで卒業した感じで、もう少し学ぶ、というのをすればよかったと思いますが、ともかくそのおかげで今の仕事がある感じもします。今の時代は心理士になるにも資格試験などで忙しくて、きっと「学ぶ」べきものが多く、なかなか安易にはそうもいかないとも思いますがどうなのでしょうか…。そういう意味では資格化もどうかなとも思いますが。私の学生時代は、30数年以上前でしたからのんびりしてましたね。20世紀終り頃は臨床心理士の資格試験もまだ、簡単だったし。
ちなみに中学・高校時代にもっとやっておけばよかったと本当に後悔しているのは、数学。精神分析を学んでいても、集合論、微積分、無理数の理解、トポロジー、虚数,素数など出てくるし、自分で精神分析など創作しようと思ったら、もっと知っておきたいと思ってしまいます。
中学、高校の授業の問題は、ダウントップの進め方主体になっていて、縦割りになってしまい、全体の繋がりが掴み難いところでしょうか。一回、興味ある分野を狭くつきつめてみて、そこから逆に遡って、他の分野とつながりを考えてみるのもいいかもしれません。昔、総合学習でどんな授業があればいいか、ということについて、爆笑問題の太田は「文明」という科目名にして、歴史を過去から勉強するのでなく、現代からさかさまに勉強する、と言ってましたが、各分野間のつながりについても丁度そういう発想ですね。始まりから見るとカオスですが、終りから見ると、必然性がよくわかります。
投稿: mizu | 2006.03.21 16:14
申し訳ありません!僕に対しての記事でもあるに関わらず、ずっと気付きませんでした・・・・・
まず最初にお断りしておきますが、8640秒が間違っているとは全然知りませんでした。ホントです。
僕の勝手なわがままかもしれませんが、されど、と思いになって読んでいただければ幸いです。
僕は、一応授業はしっかりやってるつもりです。臨床心理士を目指すとなれば相当な学力が必要であることも、臨床心理士の方から聞きましたので、勉強は一生懸命やっています。しかし、それでも「つまらない」と感じてしまう授業はあるのです。
僕の学校で僕が最も「つまらない」と感じているのは、社会の授業です。
社会は(特に歴史は)僕の大好きな分野なので、がんばりたいとは思うのですが、先生は教科書を読み上げ、黒板にまとめを書くだけ、そしてそれを写す、という単調な作業の繰り返しなのです。ちょっとした口頭質問、教科書を読ませる、そんなことは一切ありません。大学では黒板へのまとめもないとは聞いていますが、口頭質問なども一切ないのでしょうか?(講師の方によって異なるのでしょうか?)
また、「一年間の授業を振り返ってどうだったか」と、アンケート、というか意見などを書け、と紙を渡されたこともあり、僕は授業体系の改善を訴えましたが、心なしか余計につまらなくなった気もするのです。
もう皆様のコメント等で既に語られている事ですが、中学等の教育が大事なものであるのならば、それが身につくような授業をする、といったことが教師には求められるのではないでしょうか?私立高校や塾では、大学などへの進学率がそのまま評判ともなるので、自然と授業にも熱が入ったりするはずです(僕は塾に行っていないのでなんともいえませんが)それが公立では、というのはやはりおかしいと思います。
最後になってしましましたが、僕のコメントに対して真剣に考えてくださった方々、そして応援のメッセージを下さった方々みなさん本当にありがとうございます。
投稿: しょちょう | 2006.03.21 14:27
たくさんのコメントありがとうございます。
授業はしょうもないか否か、ここは議論をする場ではないので、みなさんのご意見そのまま拝聴させていただきます。
授業はしょうもなくても、勉強はしっかりしたほうが将来の自分のためになる、というのが私の意見です。
露骨に無視するのは…授業は生徒と教師の人間関係の場だと思いますので、私は関心しません。ただ、時間の使い方は自分で決めるものなので、人それぞれなのでしょうね。
投稿: ひろみ | 2006.03.15 16:52
つまらない授業は、確かにあります。大学と違って先生を選べない中・高は本当にしんどかった。
つまらない授業中は①寝る、②内職(他の教科の宿題とか)をする、③近くの席の人に手紙を回す・・・私自身は、そんなふうに過ごしていたことが多かったです。だけど、それはそれで「あの頃の思い出」として懐かしく心ん中に残っているから、バカやってた自分もイヤではないです。しょちょうさんも、有意義に時間を使ってくださいね。
投稿: warawara | 2006.03.14 21:48
しょちょうさん、どうしてそんなに授業がつまらないのでしょうね。
学ぶ側の姿勢でしょうか
先生方の伝え方でしょうか?
どちらの責任もあるのでしょうか?
私は、授業はよくわからなくても、先生がその科目を愛していることと、熱意は伝わって、それだけで、その授業を一生懸命とっていた思い出があります。
また、学ぶことで、その世界に入っていくという楽しさを感じていたとも思います。
世の中には、いろいろな世界があることに目を開かれていくことは、とても楽しいことでした。
成績とはむすびつかないものもたくさんありましたが、今、社会人になっても大学に入りなおして学ぶ原点は、学校時代にあったと思います。
学ぶことは、出会いとの関係性があるように思います。
その世界に出会うこと、先生に出会うこと、学ぶこと通して人と出会うこと・・・、しょちょうさんを初め今学校生活を送る方たちが、いい出会いができますよう、祈っています。
投稿: ほんわり | 2006.03.13 21:09
以下少し訂正
>荒川選手が点数より、「自分が美しいものを表現したい」と言ったような。
→
「自分が美しいと思うものを表現したい」
です。
投稿: mizu | 2006.03.13 05:08
各教科の意義を告げずに一方的に行なわれる授業はたしかにつまらないでしょう。とりあえずは、自分なりに意義をくっつけてみるのも良いかも知れません。
そこで、参考になるかも知れないのは、精神分析の言う、「他者の要求に応えるのでなく、自分本来の真の欲望に沿って生きる」ということの大切さです。荒川選手が点数より、「自分が美しいものを表現したい」と言ったような。
とりあえず私が振り返って思ういくつかの教科の意義:数学→現実にはすぐには役立たないことをあえて考えることで思考の自由を得る教科、あるいは人間の思考・心・欲望や、宇宙・多次元の世界を論理的に探る教科。歴史→人間の欲望がどう世界を動かしてきたかを探る教科。理科→以上などを実証的に探る教科。文系→自分の欲望をよりよく表現する訓練。ともかく本来人間の活動は欲望の表現にあったはずだから、そこにつなげて各教科の意義を再考して上のように考えました。
こんなふうに教えてくれる教師が居れば私も中・高・その後と違った人生を歩んでいたことでしょうが…。
教科や教育の目的に対するこういう考察も抜きにして、スクールカウンセラーを導入したり教育改革をしても、「灯台もと暗し」の感が否めません。
投稿: mizu | 2006.03.13 04:14
でも、教える側に何の情熱もなく、ただ惰性で教えているだけのつまらない授業って、本当に存在します。生徒に学びのおもしろさを伝えるのも教師の仕事。それを生徒側だけの努力に帰するのには賛成できません。
投稿: a | 2006.03.13 01:12