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2006.12.15

モーゼの十戒と堕天使の涙

果報は寝て待て!? 人気ブログランキング

ようやく一息つけました。
昨日は仕事を終えて帰る前に気が付いたのですが、お昼のお弁当を食べるのを忘れていました。短縮授業が終わって、ずっと講習やら生徒の指導やらで、休みなしでした。今週ずっと、ちょっと仕事をやりすぎました。(^^;

睡眠不足もやや解消して、今朝、「いじめをなくさなければならない」となぜ言えないのか、答えが見つかったように感じます。

根本のところで、私の発言に疑問をくださった方との間で、考え方に相違はありません。だから、議論するようなことではないです。ただ、私は「いじめはなくならない」からしかたない、と思っているわけではないので、そのあたりを、自分のためにも整理したいと思います。

私はしんどい学校に勤務した経験も長いので、生徒の将来に期待したことは、まず「納税者になって欲しい」でした。どんな形であってもそれぞれですが、将来は社会人として自立してくれれば、それ以上望むことはありません。

ところが私には、もう1つ裏の別の願いもあります。いろいろなところで勤務しましたし。
それは…「犯罪者にならないで欲しい」です。

世の中から「犯罪をなくさなければならない」とは言いません。でも、私の仕事の1つは将来犯罪を犯さない人間を育てることだと思います。

私の大学院の恩師は、社会的に非常に重要な仕事を、生業ではなく(儲からなくても)、選んでしている人です。とても尊敬していますが、実は結構「俗」なおじさんだったりします。そして、よく言っていたことは、「モーゼの十戒」はなぜあるのか、でした。

十戒の全部を私は知りません。

汝、殺すことなかれ
汝、盗むなかれ
汝、姦淫するなかれ

当たり前のことを、どうしてモーゼは記したのか、その理由を師は言っていました。「人の心の中には、必ずそのような欲求があるからだ。だからわざわざモーゼは記したのだ」と。誰の心の中にも闇の部分がある。それを認めた上で、どう生きていくかを決めなければならない、というのは師の考えです。

私も、心の闇は必ずあると思います。自分の中にも。それを認めます。口に出せない痛い思いはいくつもあります。闇はなくならないでしょう。これからも。けれど、光で照らすことはできると思うのです。だから大切なのは、自分の中に光を持つこと、ではないでしょうか。

抽象的になってすみません。社会の闇として、犯罪はあります。でも、自分は犯罪を犯さない、犯罪を許さない、犯す子どもを育てない、というのが、私にできることです。

犯罪をいじめに置き換えても、同じです。

今、東京宝塚劇場で公演が行われている雪組の「堕天使の涙」は、人の心の闇をえぐり出すような作品です。堕天使に誘惑され、人は蹴落とし、だまし、裏切り、嫉妬し続けます。そのさまは地獄の舞踏会と歌われ、乱舞が繰り広げられます。
しかし、後半の展開の中で、同じ人の心の中に、闇を照らし包む光があることが明らかになっていきます。そして地獄から地上に訪れていた堕天使ルシファーもまた、その光に包まれます。人間に嫉妬し、神はどうして人間を創ったのか、理解できなかったルシファーは、神の御心に少し触れた思いがして地獄へ帰っていく、というストーリーです。

なんだか、今回の話題と重なりました。

雪組トップの朝海ひかるさんのサヨナラ公演です。ため息と涙しか出ません。(T_T)サヨウナラ

週末になってしまいましたね。来週は結果が届くでしょうか。 

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コメント

モーゼの十戒って初めて知りました。
いじめについて色々と考えていました。
私は学校で起こるいじめに対して、大人が介入していじめをなくした、という例を知らないので、正直言って自分がスクールカウンセラーになって、そのような役割を担うことになったとき、何ができるのか悩んでしまうと思います。
スクールカウンセラーをしている知り合いの話だと、学校で相談室に行っていることが周りに知れただけで、からかい(いじめも?)の対象になるのだとか。
心理士としてこういう働きかけをした、という色々な人の経験(はなかなか書き込んでくれないかなぁ)が知れたらいいなと思います。

投稿: poo | 2006.12.18 19:16

mizuさん、にゃんさん、コメントありがとうございます。

私は愚がつくほど正直ですが、卑怯者ではありません。どうか発言だけを取り上げて、私の姿勢を憶測するのはやめてください。私の思いと違う人と混同されるのは、正直、しんどいです。

いじめられている子どもが目の前にいたら、私は「あなたは悪くない」と言います。「いじめはなくさなければならない」とは言いません。

いじめている子どもが目の前ににいたら、私は「いじめはいけない。いじめてはいけない」と言います。「いじめはなくさなければならない」とは言いません。

口ではなんとでも言えます。どう行動するかの方が重要でしょう。

私はフェミニストです。フェミニスト・カウンセリングの合い言葉は、Personal is Political (個人の問題は政治の問題である)です。

初めて聞いたとき、ぴんときませんでした。自分の行動が社会を動かす力になるとも考えることができませんでした。でも、今はたとえ一個人の小さな行動でも、社会を変える力の1つになると、信じています。

社会を変えようと思って、変えるために行動するわけではありません。正しいと思ったこと、できることをするだけです。でも、そんな私の行動でも、社会を変える何かの力になりうると信じています。

蛇足かもしれませんが、そのためのネットワークの重要性も理解しています。私にはともに活動する仲間がたくさんいます。地元でも、少しずつですが、行政への働きかけや、連携を進めています。

投稿: ひろみ | 2006.12.17 00:49

モーゼの十戒について,なるほど・・・と思いました。今年一世を風靡した「国家の品格」では白虎隊か何かの戒律について書いていました。
「ならぬものはならぬ」
理論や理屈ではなく,説明できずとも「ダメ!」な事が世の中にはあるのです。
世の中は全て論理的に説明がつくなんて,幻想です。「ならぬものはならぬ」ことが時にはあるのです。「人を殺しちゃいけないのはなぜか」・・・そんなの「ならぬから」でしょう?イジメもそうだと思います。「コレコレこういう理由があるからいじめられるのは仕方ない」なんていうのは,ぜんぜん理由になってません。いじめる前に話しなさい!話せる場所作りをしなさい!・・・と思ってしまうのは私だけでしょうか。

投稿: にゃん | 2006.12.16 01:56

地方国立大か、関東圏の私大か・・

大学自体の状況や受験というのは、私には遠い昔のことでわかりませんが、地方か、関東圏か、というとこだけで考えを述べさせてください。

私は、関東圏を絶対お勧めします。
約30年東京にいて、最近田舎に戻ってきました。交通網の便利さのみならず、知的な刺激や情報が得やすいという意味で絶対関東圏です。地方がこんなに不便で、知的な情報、刺激が得にくいとは予想もしなかったほどです。都会では、電車の中釣り広告もふと目にはいるし、帰り道にちょっと立ち寄れる本屋など多く、ちょっとした、でも意外と大切な情報が得やすい。美術館なども多い。図書館も多く、外部に開かれた大学の図書館もあり、すぐにいろんな文献に接せられる。競争と価格破壊で、田舎より物価も食費も地方よりずっと安い(地方により違うのかもしれませんが)。地方の図書館では、フロイト全集さえ、県外に行かないと無かったり、あったとしても、何度か交通機関を乗り換えて1日を消費してしまう、などのことは日常です。論文のために、文献を探すにも大変だし、文献目録を正確に作るために一々アマゾンに本を注文したり、東京都内の図書館に遠征しないといけない、ことなどある。自分の接している文献が今の最先端のものなのか田舎にいてはわからず、まったく遅れたことをやっているのでは、と心配になる(田舎ではよく売れるものしか本屋は入れない。専門的にマニアックな文献は無い)。新しいテーマを探して論文を書くのも地方だといろいろ大変だと思います。

ですので関東圏がいろんな意味で有利だと思います。

投稿: mizu | 2006.12.16 00:47

内と外について説明不足でした。

>「人の心こそが大切、目の前の個人個人との関わりこそがまず大切なのだから、投票というようなマクロな政治行動は棄権する」

前者が「内」,マクロな政治行動が「外」に相当します。

投稿: mizu | 2006.12.16 00:13

ひろみさん
誠実なお答え有り難うございます。以下私の感想を述べさせて頂きます。

読ませていただきどのように感じたかというと、社会に対するマクロな働きかけは敬遠されておられるのかな、そういう働きかけは、心理士の行うべき細やかなミクロな働きかけではない、と思われているのかな、というところです。

しかしまさに心理の人が、いじめをなくす、とは言えないと言ってしまう事に対し、やはりいうこの緊急時、非常に懸念を感じます。「しかたないからではない」とおっしゃられているので、無力感からの投票の棄権のようなものとは違うのでしょう。しかし、「人の心こそが大切、目の前の個人個人との関わりこそがまず大切なのだから、投票というようなマクロな政治行動は棄権する」、というようなことには思えてしまうのです。

以上はお書きになられたものを大きく曲解しているかもしれませんので、そうであれば申し訳ありません。

しかしもしあたっているなら、個人の内と外というのはメビウスの帯のようにつながっていて、内からだけ、とか外からだけのアプローチというのは論理的に考えてもないと思います(精神分析的にも)。内と外は別々だ、と感じるのはやはり幻想だと思います。どちらかしかできないとしても、自分の人生の時間が少ないから、というだけのことであって、真理としては「いじめはなくすべき」というところにあるのであり、その真理を、自分の「専門」(や「無力感」・・・ひろみさんはそうではないとのことですので後者はあたりませんが)で曇らせてしまうことはないと思います。それともやはり真理でさえない、ということでしょうか。(犯罪については、私もなくさねば、とは言えません。たとえば、今のような政治が昂じて、このままだと国民を戦争に導くという動きがさらに強まるなら、犯罪であれ、納税拒否を行わないとは限りません。しかしいじめは絶対にだめと思います。)

また、たとえば、今いじめられて苦しんでいる子を目の前にして、「いじめはなくさなければいけないとは言えない」とおっしゃられるのでしょうか。テレビで専門家としてインタビューされていて、「いじめはなくさなければいけないとは言えません」とおっしゃられるのでしょうか。

あるいは「なくさねばならない」言うことは、モーゼの十戒と同一化した自我肥大だ、とお考えでしょうか。たしかに、そういう場合もあると思います。しかし、これとバランスをとれるほどの謙虚さもあわせて持ち続けていくという方向もありえると思います(とても難しいのでしょうが)。

あるいはひろみさんは、すでにいじめをなくす、という行動の中にいるからこそ、ご自身を促している理念(「なくさなければならない」ということ)はもう無心にやれているということかも知れませんね。慣れると何でも一々考えることなく無心にできるように。それだと私の考えと違わないというわけですが・・・(私はスクールカウンセラー業務は週わずかですから一々意識しないといけませんが)。しかしもしそうならそれはそれで言表においても「なくすべき」と言うほうが自己矛盾もなく順当に思えます。

最近、若い人が政治的に元気がない、と言われます。私のような世代(40代後半なのですが)からすると、6,70年代の若者と比べ、確かに、今の若い人はかなり政治や現実に、あまりに(極度に)物分りよすぎて、受け入れすぎというように感じます。「なくさなければならないと言えない」というのは、そういう物分りのよさの延長にも思えてしまうのです。

投稿: mizu | 2006.12.16 00:06

ひろみさんをはじめ、多くの方々へ

臨床系大学院を目指す者の1人です。
春試験について、
・ 地方国立大
・ 関東圏の私大
のどちらの試験を受けるか迷っています。
魅力がそれぞれ同じ位であるというのは、勿論のこと
どちらが受かりやすいかということで・・・

助言をお願いします。

投稿: みやじわお | 2006.12.15 23:09

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