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2011.09.26

フランクルの言葉

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思い出しましたが、マークシート用紙は、拙著の中にも載せています。論述練習用紙もありますので、あわせてご活用ください

今日は、フランクルの言葉をいろいろ紹介します。受験には直接役に立たないかもしれませんが、勇気がもらえます。

私は「夜と霧」を読みました。難しい旧訳を、さっと一読しただけなので、感想を語るほどのことはできません。
ただ、その内容に、驚いたというのが正直なところです。極限状態で、生きているのが偶然のような状況を淡々と語る言葉に、同情を求める態度はもとより、だれを非難する怒りの感情もなかったことに。身ぐるみはがれた人間は、一切れのパンに一喜一憂する存在であるという事実。身内をひいきにする者が多い中、真に平等な者も確かにいたという事実。すべては淡々と語られていました。
一番心を打たれたのは、絶望した筆者に一筋の光のように希望を与えた「愛」についての記述でした。筆者が一方的に感じた(妻と子どもはそのときすでに亡くなっていたので)魂のつながりに筆者は包まれ、満たされたのでした。深く強い絆が、崇高なものとして、逆境に打ち勝った瞬間でした。

前置きはさておき… 朝日新聞の夕刊で、今年の4月から5月にかけて掲載されてた、フランクル関連の連載から、フランクルの言葉を紹介します。書名のないものは「夜と霧」からの引用です。

人間はあらゆることにもかかわらず――困窮と死にもかかわらず、身体的心理的な病気の苦悩にもかかわらず、また強制収用所の運命の下にあったとしても――人生にイエスということができるのです。(「それでも人生にイエスと言う」)

すなわち最もよき人々は帰ってこなかった。

人生から何をわれわれはまだ期待できるかが問題なのではなくて、むしろ人生が何をわれわれから期待しているかが問題なのである。……われわれが人生の意味を問うのではなくて、……人生はわれわれに毎日毎時問いを提出し、われわれはその問いに……正しい行為によって応答しなければならないのである。

教師は生徒に意味を与えたり教えたりすることはできない。ただ、生きた実例になることができるだけ。普遍的な意味をみつけるのは「良心」であり、己の良心に耳を傾ける力を磨くことが教育の指名だ。(1969年国学院大学での講演から)

自分を待っている仕事や愛する人間にたいする責任を自覚した人間は、生きることから降りられない

ユーモアも自分を見失わないための魂の武器だ。ユーモアとは、知られているように、ほんの数秒間でも、周囲から距離をとり、状況に打ちひしがれないために、人間という存在にそなわっているなにかなのだ。

「あなたが経験したことは、この世のどんな力も奪えない」わたしたちが過去の充実した生活のなか、豊かな経験のなかで実現し、心の宝物としていることは、なにもだれも奪えないのだ。

引用以上です。
コメントや解説は差し控えます。(というか、ようしません)でも、2番目の一言は、私も著書を読んだとき、印象に残りました。また、日常のいろいろな場面で、ことあるごとに思い出します。日本でも、太平洋戦争時はそうだったと思います。今回の震災においても、亡くなった方々のエピソードを聴くにつけ、思い出される一言です。

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コメント

ジュリアさん、ちいさん、コメントありがとうございます。まとめてレスですみません。でも、ついで以上の意味が少しあります。それは…
お二人は、関東と関西とで、一番熱心だったお二人だからです。(拍手!)
努力をすべて出し切れることと信じています。慎重に周到に準備をしたら、あとは平常心で、気負わず、自由に受験してください。応援しています。

投稿: ひろみ | 2011.10.04 00:41

ひろみ先生、エールのお言葉と緊張の対策、ありがとうございます。
受験票が届き、かなりナーバスになっていましたが、先生のメールを見てかなり落ち付きました。フランケルの「夜と霧」の本は読んだ事があり、私の書棚にあります。試験が終わってからもう一度、ゆっくり読んでみたいと思います。

投稿: ジュリア | 2011.09.26 22:48

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